インドで、フリーランスの翻訳家をされているBiniさん夫妻。
2人の子宝に恵まれ、インドと日本を行き来して、時間に縛られない生活を送っています。
そんな、お二人にお話を伺ってきました。
Bini Pankajakshan(愛称:ビニさん)
1968年生まれ。Trivandrum在住。
17歳の時に、マハラシュトラ州の大学へ入学。卒業後、インドと日本のソフトウェア合弁会社へ入社。
バンガロールで約1年の研修を経て、1993年に初めて日本へ。
1995年ブルームバーグ東京オフィスへ転職し、ネットワークエンジニアとして従事。
2003年ブルームバーグ退職後、フリーの翻訳家として夫婦で独立。奥様(Ryokoさん)のご実家、北海道北見市へ。
その後、長男の蓮(れん)君が生後6カ月の時に、渡印。
お住まいの地域:ケララ州 トリバンドラム (Trivandrum Kerala)
「コンピュータは新しい分野」
さいむら:ご出身はトリバンドラムですか?
Bini:はい、トリバンドラムです。
ここで生まれ育ち、17歳の時に、マハラシュトラ州のムンバイの南の方にある街のエンジニアリングの大学に入学しました。そこで、コンピュータについて学んでいました。
さいむら:もともと、コンピュータに興味があったんですか?
Bini:いや、全然なかったです。なかったというか、あの当時はまだ、パソコンとかって誰も見たことないし、コンピュータは新しい分野でした。最初は何もわからなかった。まだ、OSがMS-DOSとかそういう世界です。
さいむら:大学卒業後は、就職活動ですか?
Ryoko:日本では、大学を卒業するまでに就職活動するじゃないですか?
インドでは、大学終わっても、会社とか決まってなくても全然OKなんです。卒業して、「さぁ仕事探そうか」みたいな感じで。
多分、早い人はすぐに決まると思うんですけど、BINIは大学はここ(トリバンドラム)ではなかったので、戻ってきてからのんびり職探ししてたみたいです。(笑)
Bini:トリバンドラムに戻ってきて、仕事を探していました。もし、就職できなかったら、またMBAでも取ろうかなと考えていました。
それで、新聞にバンガロールにあるインドと日本のソフトの合弁会社の求人が掲載されていて、応募しました。大学の成績とかよりも、adaptableな(適用しやすい)人材を必要としている会社でした。
さいむら:どんな環境でも、適応できる人材ということですね。
Bini:その会社に入社しました。1年位、日本語を勉強した後、実際に日本の会社に派遣されて働くというものでした。
その後、再びインドに戻ってきて、インドで仕事をする、そういう予定でした。
当時はすごく画期的なアイディアでした。まだアウトソーシングはあまり一般的ではない時代でした。だから、そういった面では先駆者的な取り組みだったんです。
その後、2000年問題がきっかけで、より多くのエンジニアがインドから世界へでるようになりました。
それがインドがコンピュータの世界でブレイクアウトするきっかけになったと思います。
さいむら:インドのソフトウェアエンジニアが、日の目を見ることになったんですね。
「カラオケも歌えます」
「初めての日本文化」
さいむら:バンガロールではどんな研修をされていたのですか?
Bini:日本に行く1年前からバンガロールで研修があったのですが、日本語の先生がいて、すごく楽しかったです。
何でも教えてくれる、すごい良いプロジェクトでした。日本の歌から日本食まで。
日本にいったら、即、社会にはいっていけるようなトレーニングでした。
日本の歌の練習もありました。だから、すぐカラオケにも行けました(笑
私たちのグループの中に、バラモン教(カースト制度の1番上、ベジタリアンでお酒も飲まない人)がたくさんいて、
同級生の半分くらいは、お酒も飲んだことないし、肉、魚も食べたことがない人が多かったです。
多分インドでも、ケララとゴアだけは、牛肉がレストランのメニューに普通にあります。それ以外の地域は、ほとんどメニューにはでないでしょう。チキンかマトンです。
私は、結構お酒も飲んでるし、何でも食べます(笑)
だから、自然とその人たちを教える立場になってました。
日本食とか食べられるようになるために、会社ではよくパーティーがありました。
お寿司はさすがになかったですけど。まぁ、色々日本の文化を経験できて、すごく楽しい1年でした。
研修はあるし、お酒は飲めるし、仕事しなくていいし、お給料はもらえるし(笑
さいむら:羨ましいですね(笑
「仕様書は全て日本語」
「日本での仕事について」
Bini:1993年に初めて日本に来て、最初に住んだ場所は、滋賀県の米原市でした。
特に何もなくて、ソフト会社以外に、大きなスーパーとか、コンビニが2つくらいありました。
着いたらすぐ仕事が始まって、開発とかをやっていました。
それで、いきなり夜遅く12時まで、働かされてビックリしました。
1ヶ月くらいして、すぐ東京に行きました。
さいむら:最初は、どんな仕事をされていたんですか?
Bini:某大手証券会社のシステム開発の仕事をして、その後、某大手銀行でも同じようなシステム開発の仕事をしていました。
システム開発といっても、仕様書は全て日本語でした。アウトプットも全て日本語で出さなければいけませんでした。
プログラムは同じですけど、仕様書が理解できないとアウトプットもだせません。
そのおかげで、日本に行って、半年くらいで日本語検定1級を取得することができました。
さいむら:そのまま、開発のエンジニアをやられてたんですか?
Bini:東京に来て、2年位その会社で働いてて、2年後にインドに帰ってきて、インドと日本を行き来するという話だったんです。
しかし、会社側で、バンガロールでの受け入れ準備が何もできていませんでした。
それで、最初(入社した時)の話と違うということになって、
インドに帰るか、今の会社で正社員になるかっていうところで、会社と揉めて、結果的には全員辞めていきました。
その中で、私も辞めて、1995年の年末にブルームバーグという会社に転職をしました。
そこで、彼女(現在の奥様)はブルームバーグの記者をしていて。
さいむら:職場で出会われたんですか?
Ryoko:そうなんです。社内結婚なんです。
さいむら:素敵です!
「これ(翻訳)以外なかったんです」
「現在のお仕事について」
さいむら:インドに戻ってくるキッカケは、何だったんですか?
Bini:1995年の末にブルームバーグに入社して、2003年までずっと働いていました。
その時に、父もいい年齢になってきていて、実家に帰って来ないといけなくなったんです。
ですが、当時トリバンドラムでシステムの大きな会社は無かったんです。テクノパークも既にあったと思いますが、そこまで大きくなかったです。
10年位海外で経験のある人を雇う位の会社とかもなかったですね。
しかも、私はブルームバーグでは、システム開発というよりネットワーク管理をやっていました。データセンターの管理とかしていました。
それで、何をすればいいかという話になりました。
インドに帰って来るのはいいけど、インド水準の給与では、日本に行ったりするのはかなり大変です。
だから、日本円で稼げる仕事をしたいなと思って、翻訳がいいかなと思いました。
丁度、ブルームバーグにいたアメリカ人の友人が、アメリカに戻って、翻訳の仕事をして自由にやっているのをみていた影響も大きいです。
とりあえず、私は日本語と英語ができると。しかも彼女も英語で記者をやっていたので、これなら自由にできるという事もあり、二人で翻訳をやろうと決めました。
Ryoko:逆を言えば、これ以外(選択肢は)なかったんです。
さいむら:それで、お二人で翻訳の仕事を始められたのですね。
Bini:そうです。最初に彼女が辞めて、色々な会社のトライアルを受けて、仕事がもらえるようになりました。その3ヶ月後に私も辞めました。
Ryoko:東京で2人共働きながら、子供を産んで、生活していくっていうのは難しいんじゃないか、という想いもありました。
さいむら:それで、1度ご実家の方に帰られたのですか?
Ryoko:そうです。北海道の北見市というところです。そこで、実家にもどり、そこで子供を産んで。生後6ヶ月たった頃に、初めてトリバンドラムに来ました。
Bini:インドは大丈夫か?っていう確認のために、まずは半年くらい実際に暮らしてみることにしました。
Ryoko:その間、ずっと翻訳の仕事をしていました。
さいむら:北海道からインドに行く中で、仕事の方は比較的安定をしていたんですね。
Ryoko:そうですね。運のいいことに。自分が記者だった頃のお客様からも応援して頂き、今もまだお仕事を頂いています。
クライアントは日本で、日本語から英語に翻訳しています。基本的には、メールで仕事の依頼がきて、急ぎだったら電話が来ます。
さいむら:時間の拘束とかっていうのは、今はあまりないんでしょうか?
Ryoko:そうですね、普通の仕事の方に比べたら、今はものすごく自由だと思います。逆に自由すぎて、うまく時間使えてないっていうこともありますが(笑
Bini:ここ(トリバンドラム)の周りの人達とかは、何をやってるのかわからないでしょう。朝からあっちこっち行ったりしてるし、でも時には夜1時とかまで仕事をしている時もあります。
「テニスが出来る場所」
「今後の目標・将来の夢」
さいむら:今後の目標・将来の夢を教えて下さい。
Bini:ここに住んでいる限り、今の仕事はもうしばらく続けていかなければいけないと思っています。お父さんは昨年亡くなって、今はお母さん1人しかいないので。
でも、息子達はテニスを習っています。
それなので、テニスの出来る場所に移りたい。それが今の目標です。
Ryoko:普通の日本の方に話したら、何を考えているの?と思われるかもしれないんですけど(笑
インドってすごく子供を大事にするんです。お父さん達も嫌な顔しないで、近所の子供たちと遊べるくらい。子供と大人の距離がすごく近くて、ものすごくよく面倒をみるんです。だから、社会的な背景もあると思うんですけど、こういう仕事柄、子供の事をすごく優先できるんですよね、頑張ればなんですけど。
だから彼(ビニ)も、下の子はまだ小さいのでわからないですけど、上の子はボールを使ってやるスポーツが上手なんじゃないか?ってずっと言っていて。それで、テニスをさせたいと。
Bini:今、色々探しているところなんですよ。まだ、決めたわけではないんですけど。一番いい所はアメリカなんですけど。
Ryoko:子供に対する教え方とかすごい進んでますし。
Bini:でも、いきなり行けたりするほど、簡単な話ではありません。
さいむら:お子さんにベストな環境を提供したいっていうのが大きいんですね。
Ryoko:今後の夢とか、自分達がこうありたいとか、こうしたいとかいうのがあればいいんですけど、今はもう、子供のためにっていうのが夢になっているんです。
最近、たまたま「10年後に、自分がどうありたいですか?」とかっていうのをWEBサイトで見たりして。でも子供がそうなった時に、自分達はどうするんだっていうのもあるんで、考えなければならないんですけど(笑
生活の中心が子供になっているんですよね。
さいむら:今は、理想的な状況なんでしょうか?
Ryoko:そうですね、子供が生まれるまでは、全然どんなものか、考えも無い状態で生まれてきて。やっぱり面白いって言うのかわからないですけど、自分達次第で子供の今後の進み方っていうのも変わってくると思いますし。
ただ最初、「テニスをさせることを一番に考えたい」って言われた時は結構びっくりしたんですけど。(笑
彼は、もともとスポーツがすごく大好きで、自分でするっていうよりも観戦するのが好きみたいで。もし、もっとチャンスがあったら、自分でもやりたかったらしいんです。でも、インドでその時代でっていうとあまり選択しもなかったし。やっぱり、スポーツを専門でやってけるって考える余地もなかったと思います。
ここ(トリバンドラム)ってすごく教育熱心で、子供たちに勉強させて大学に行かせてっていう。日本も教育熱心なんですけど。またちょっとレベルの違う熱心さです。社会的な背景もあるのかもしれません。
Bini:将来はエンジニアか、医者かみたいな。
Ryoko:小学1年生の蓮(れん)に向かって「エンジニアリング?メディスン?」って(インドの)おばあちゃんが言うんです。分かるわけないんですけど(笑)
「ヨーロッパみたいなもの」
「インドで働きたい・興味があるっていう人へメッセージ」
さいむら:これからインドで働きたい・興味があるっていう人へメッセージをお願いします。
Bini:まぁ、ショッキングな所はあると思います。日本から来ると。それは色々な理由があってね。まだまだ、時間掛かると思うんですけど。
何と言えばいいかな、インドは一つの国って考えていても意味がありません。
私の考え方でいうと、ヨーロッパみたいな感じです。25,6の国が一つになっている。
ヨーロッパだと、ラテンから生まれてくる言葉があって、キリスト教がそのベースになっている。
インドをみるとサンスクリットから生まれた言葉が元になっています。タミル語とかそうではないですが。
そういう風に考えると、ちょっとずつ違う言葉がいっぱいあります。そして、文化も食べ物もそれぞれ違います。
その下のルーツに、ヒンズー教があります。だから、州によって全然違うので、インドに来る時は、ヨーロッパの一つの国に来るような気持ちでいた方がいいかもしれません。
今回はケララ州だったけど、次はマハラシュトラ州に、とかね。
北インドだけ見て、これがインドだって思ったらダメです。最初に南インドにくると、イイと思う人結構いるんですよ。
大体、日本にいた時は、みんなインドと言えば、ガンジス川とか、タージマハルとかいうんです。
だけど、私はケララ出身なんで、緑いっぱいです。全然違う。牛肉も食べるし、私は宗教やっていないです。
だから、象に乗っているかっていうとそうでもないですし。
Ryoko:他の州の人からすると、ケララの人はみんな象に乗っているらしい、と思われているみたいです。(笑)
「来てみないとわからない」
「インドで働きたい・興味があるっていう人へメッセージ」
さいむら:Ryokoさんからも、ぜひメッセージをお願いします。
Ryoko:来てみないと分からない事っていっぱいあると思うので、興味があったら、まず来てみるのがイイと思います。
さいむら:実際に足を運んでみるということですね。
Ryoko:私も、インド人と結婚すると思っていなかったですし。
インドっていう所は、赤茶で乾いた大地っていうイメージがあったんです。
初めて、チェンナイ経由で来た時、飛行機の窓から見ていたら、途中から急に緑一色になったんですよ。そしたら、それがケララ州だって。
そして、着いてみたら水もいっぱいあって、すごくいいところですよね。
人も、北インドに比べたら、物乞いもすごく少ないですし、そういう意味でストレスは少ないと思います。
ただ、人は朴訥というかシャイだったりして、仲良くなるのに時間がかかる場合もあるかもしれないです。でも、みんなすごいイイ人たちだと思います。
それは、ケララに限ったことではなくて、どこに行っても必ずそういう人たちがいると思います。
決心するところが、一番難しいところだと思うんですけど、行っちゃったらもう帰ってこれないとか、そういう事でもないので。
まず実際に来て、自分の肌で色々感じてみて考えたらいいと思います。
それからで、全然いいと思います。先のことを考えるのは。
(インタビュー・編集=雜村洸宇、写真=冨田太貴)
まさに絵に描いたような、素敵なご夫婦でした。
2人のお子さんも元気いっぱい、インタビュー中も走り回っていました(笑)
単純に、こんな家庭を持ちたいと思わせられましたし、
また一つ新しいライフスタイルを教えて頂いたような気持ちになりました。
おかげで、何が良いポストと有益なブログは、私がブックマークこのブログになります。おかげで、これは、シェイプアップや出荷する時間です