言わずと知れたインドの日本人宿「久美子の家」のオーナー久美子さん。
38年前にインド人のダンナさんとご結婚され、今まで帰国したのは1回だけ。
インド好きに知らない人はいない、そんな久美子さんにお話を伺ってきました。
久美子さん
26歳の時に、日本でインド人のダンナさんと出会い、結婚。
その後すぐに渡印。移住5年後にゲストハウス「久美子の家(KUMIKO HOUSE)」を始める。
現在はダンナさんとお子さんと家族でゲストハウスを経営。
インドを旅するバックパッカーなら世界で知らない人はいないと言われる。
お住まいの地域:ウッタル・プラデーシュ州 バラナシ (Varanasi Uttar・Pradesh)
「結婚したから」
「インドへ来ることになったキッカケ」
さいむら:インドに来ることになったキッカケを教えてください。
久美子さん:日本で、インド人と結婚したから。
さいむら:なるほど。いつ頃ご結婚されたのですか?
久美子さん:26歳の時です。
さいむら:出会いはどちらで?
久美子さん:八王子です。
さいむら:どうしてダンナさんは日本にいらっしゃったんですか?
久美子さん:染物のインドサラサっていうのをやっていて、日本政府から正式に招待されていました。八王子は着物の街で、着物の研究所があったので、そこで色の発明をしていたようです。
さいむら:そうだったんですね。どうやって出会われたのですか?
久美子さん:私の実家は八王子なんですけど、実家が食料品屋さんで、ダンナがお客さんでした。それで仲良くなりました。
さいむら:インドに来られたのはいつ頃ですか?
久美子さん:結婚してすぐです。26歳の時に来ました。
さいむら:最初からバラナシへ?
久美子さん:最初の2,3ヵ月だけダンナの実家のコルカタにいて、すぐバラナシに来ました。
ダンナの染物の仕事先がバラナシだったので。

生活感に溢れているガンジス河
「久美子の家」
「ゲストハウスについて」
さいむら:ゲストハウスを始めたのはいつ頃ですか?
久美子さん:インドに来てから5年位経ってからですね。
その時に、インド人が大嫌いになったので、日本人と話したくて。ゲストハウスをすれば話相手ができるかと思って趣味から始めたものが気付けば本業になっていました。
さいむら:すごいですね。当時はあまり日本人旅行者は少なかったんですか?
久美子さん:すごく少なくて、いても2~3年旅をしているゴツい旅行者ばっかりで、1年位の旅だったら、「まだ始まったばっかりね」という感じでした。
今はもう、一週間とかばっかりですからね(笑)
さいむら:日本には、たまに帰られるんですか?
久美子さん:いいえ。子供が生まれた時に一度だけ帰りましたが、それ以来一度も帰っていません。
帰りたくても帰れない。なぜならインドで1~2ヵ月の間、家を空けてしまったら、勝手にカギを壊されて中に入られて、帰ってきたら銃持って、「でていけ」って言われてしまうので。
さいむら:銃ですか?!
久美子さん:そうですよ。だから子供ができた時は、近所のドクターに留守番をお願いしたんです。
それで安心していたら、やっぱりダメでした。帰ってきてもそのドクター達が立ち退いてくれなくなりました。
仕方なく、3か月分の次の家の家賃を渡して出て行ってもらう事にしました。
ドクターとその奥さんがいたんですけど、出ていくときに、「私たちでていってあげるんだから、いい人でしょ?」って言ったんです。
こっちは、自分の家を乗っ取られて、次の家の家賃まで払わされているのに、内心では「何を言っているんだ」と思いながらも笑顔で「そうですね」って言いました。
今思い返せば、確かにいい人でした。ちゃんと出て行ってくれたんだから(笑)
その後は帰国しようと思って、もうインド人は信用ができないから、日本人にお願いしてたんです。だけど、その人に任せてコルカタまで移動したときに一度電話で様子を確認したんですけど、「大変です」ってなって。1週間でその状態なので、きっとまた誰かに家を乗っ取られてしまうと思って、結局その時は帰国ができませんでした。
そういう理由で2度ほど帰国の予定をキャンセルしたものだから、実家の母がすごい心配して、「帰国もできないほど大変な状況なの?」って。
それで飛行機にも乗ったことがない母がインドまで来てくれて。それからは姉を連れて来たり、親戚を連れて来たり、いつも向こうから会いに来てくれるようになりました(笑)

ガート沿いにある、久美子の家
「ノンキでいられる」
「インドに来て一番よかったこと」
さいむら:インドに来て一番よかったことは何ですか?
久美子さん:ノンキ。
ノンキでいられることですね。ヘタに気を許すと殺されちゃうんだけど。
日本だったら朝から晩まで働かなきゃいけないんですけど、こっちだったらマイペースでいられるので。今日ダメだったら、明日やればいい、そんな感じで平気で先延ばしできるのがいいですね。

人もウシもノンキです。
「人が信用できない」
「インドで一番大変だったこと」
さいむら:インドに来て一番大変だったことはなんですか?
久美子さん:人が信用できない。
さいむら:人っていうのはインド人ですか?
久美子さん:そうです。騙されるくらいならかわいいもんです。家を乗っ取られるくらいですから(笑)
さいむら:命の危険があったりしたことはあるんですか?
久美子さん:私は常に神経を使っています。基本的に最初はまず疑って、途中から大丈夫だと思えばパッと笑顔になります(笑)ダンナはすぐ人を信用しちゃうんで、ダンナが話してて私が横で見てます。それで会話が終わってからダンナが私に聞くんですよ。「あいつは信用できる?」それで私がOKを出せばそのまま、NGの場合は、もうその相手とはお付き合いしません。命に関わってくるので。
さいむら:見ているだけで、わかるものなんですか?
久美子さん:“感じ”でわかります。
インドに来て、5年経ったときに、インド人が大嫌いになりました。
ちゃんとした事務所でマネージャーをやっている人と仲良くなって、この人なら大丈夫だと思って家族ぐるみでお付き合いさせて頂いていました。
3~4年は普通に付き合っていたんですけど、ある時一緒にお芝居を観に行く事になって、チケットをお願いしたんです。一人200Rps払いました。
それで当日、劇場に行ったら、ゲートの所に100Rpsって書いてあって、「あれ?おかしいな」って思ったけど、中にはいったら一番前の席だったので、「あぁ、きっといい席を取ってくれたんだ」と思ったんです。
だけど、ちょっと気になって隣の席のおじさんに値段を聞いたんです。
そしたら、100Rpsでした。
それから、少しずつ疑いを持つようになりました。やっぱり日本人だからお金持ちだと勘違いされて、そのうち「うちの息子を日本に行かせたい」とか言ってくるんですけど、自分の息子も日本に行かせられないのに、なんで他の家の子どもを日本にいかせられるんだっていう話で断ったんです。そしたら、「あんたは自分だけいい思いしたいんだ」って言われて、意味がわかりませんでした。
これはインド人の習慣みたいなものなんですけど、友達に対して「ここまでは言える、これ以上は言わない」っていう線引きをしないといけないんです。
最初は私はそれを知らなくて家の内情から全てその友人に話をしていました。
だけど、ある時その友人の娘がキチガイみたいだって事に気づいて、弟に聞いたんです。
「お母さんは知っているのか?」って。そしたら、弟は「知っているよ」って言うんです。
また別の日に、そのお母さんと娘と弟の三人で家に遊びに来た時に、その話をしたら、お母さんは「何のことですか?」って言うんです。あれ?と思って、その瞬間弟の顔の方をパッとみたら、パッと顔をそらされて。
さいむら:恥ずかしいから隠しているってことですか?
久美子さん:そうです。友達だからって全て話すわけではない。
結局その友人とはだんだん疎遠になっていきました。
次に仲良くなった友人とは、今度は私も一線を引いてお付き合いするようにしました。一緒に買い物いったり、出かけたりしますけど、全てを話す事はしません。逆に相手の方がしゃべり過ぎな位です(笑)
それからはうまくいっています。
「わからない」
「バラナシってどんな所?」
さいむら:バラナシってどんな所でしょうか?
久美子さん:わからない。(バラナシの)外にでないから。
インドで結婚した女性は外へでちゃいけないんです。一人で出かけちゃいけない。男性と話してはいけない。男性であればダンナとしか話をしてはいけない。
さいむら:お店とか、チャイ屋とかも全部ですか?
久美子さん:そうです。ダンナの友達が家に遊びに来た時に、日本だったらお茶をだしたり、おもてなしをするじゃないですか。インドは逆なんです。ダンナの友達が来ていたら、その部屋からでて奥の部屋に行かなきゃいけません。最初それを知らなくて、ダンナの友人と話をしたら、その後一週間ダンナが口をきいてくれませんでした(笑)
さいむら:話をするだけで、浮気みたいな感じなんですね。
久美子さん:今はもう全然変わってきましたけど。TVとか外の世界の影響なのかな。
生活するのは楽になりましたね。
その昔、初めて“女性が”店頭に立って、腕輪を販売する店ができた時は、町中から人が見に行きました。私もリキシャーで通りすがりに見ました。「女がお店をやってる!」って大騒ぎです。腕輪だから、そもそもお客さんは女性なんですけど、それでも大騒ぎでしたね。

日の出前。幻想的なガンジス河のほとり。
「老後をどう過ごすか」
「今後の目標・夢について教えてください」
さいむら:今後の目標・夢を教えてください。
久美子さん:もう働けないよ。どうやって老後を過ごそうか考えています(笑)
もう体がうごかない(笑)
さいむら:なるほど(笑)

久美子さんと最後に記念撮影。
「経営者募集!?」
「インドで働きたい・興味があるっていう方へメッセージ」
さいむら:インドに興味がある、働いてみたいって人に一言メッセージをお願いします。
久美子さん:え?働きたい人?
この建物を貸します。家賃を払ってください。そして、代わりに経営してください。
インド人に貸すと乗っ取られちゃうので、日本人がいいですね。
さいむら:経営者募集ですか!?(笑)
何か条件とかはありますか?
久美子さん:どんな人でもいいです。できれば一度来たことがある人の方がいいと思いますけど。
(インタビュー・編集・写真=雜村洸宇)
会う前からすごく緊張していた。
久美子の家の入口で、「会いたいなら50Rps。払う?」ってインド人に言われてまずビビる。
こっちが硬直していると、「ジョーダンだよ」って。後からその人は息子さんだった事を知りました。
どんな人なのかと、そわそわしていると、久美子さん登場。
(今思えば)最初の最初は警戒されていた感じがするが、
その後は非常に表情豊かで楽しそうに、ここには書ききれない位色々話してくれました。
残念ながら、録音はNGだったので、今回の記事については、私の記憶と記録に基づいた構成になっています。
本当に暖かくて不思議な魅力をもった人だと感じました。
もっと突っ込んで色々聞くべきだったのかもしれないが、これはこれでいいのかもしれないと思っています。
そして、本当に興味があってエネルギーがあるという方は、ぜひ一度バラナシへ来てほしい。
そして、直接会って、次期経営者に手を挙げてみてほしい。
最後の話が冗談か本気なのかは、きっとその人次第だと思うので・・・(笑)
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