どうして南インドのケララ州トリバンドラムで、起業したのか?
日本人で初めて、インド最大のITパーク、テクノパークにオフィスを構えたり、
日本人で初めて、ケララ大学のMBAを取得したりと、
様々なご経験をされている蓜島社長にお話を伺ってきました。
蓜島 亮(はいしまりょう)
1980年生まれ。埼玉県育ち。明治大学政治経済学部卒業。ケララ大学MBAに在学中。2009年12月に渡印。2010年1月にYlemInfotechを創業、Managing DIrectorに就任。(現任)
お住まいの地域:ケララ州 トリバンドラム (Trivandrum Kerala)
Facebook:https://www.facebook.com/rhaishima
会社HP:Ylem infotech private limited
「初めてのインド」
「インドにきたキッカケを教えて下さい」
さいむら:インドに来たきっかけを教えて下さい。
蓜島:もともとは、Webマーケティングの会社で、SEOのコンサルタントをやっていました。
それで、会社を辞めて、インドに来ました。
そもそもインドに一番最初に来たのが25歳の時でした。
25歳の時に、インドで、インド関連で起業したいなぁと考えていて、マハラシュトラ州のプネっていうところに来たことがあって、要はその時から、ずっとインド系?(笑) インド系で起業がしたいなと思ってて、ただ、その時はちょっとうまくいかなくて、ただ、ずっと心の中でリベンジしてやるみたいなところがあって、ずっとそういう想いは持ってたっていうところがあります。
さいむら:その当時は具体的にはどのような事をされていたのですか?
蓜島:その時は、丁度、世の中の流行りとしてWEB2.0という言葉がすごい流行った時期で、いわゆる口コミサイト(ユーザー参加型のメディア)が増えていったのがその時期で、そういうメディアをインドで作ろうと思っていました。それで「実はこのサイトインドでつくってますよ」ということで、今後そういうメディアを作りたいという人が増えていく時にインドでオフショア開発ができるんじゃないかなんじゃないかなと思ってました。
さいむら:実際に、インドでメディアを作られたんですか?
蓜島:あのー、そこがあんまりうまくいかなくて、
最終的には、日本でそのサイトをつくったっていう形ですね。
最初はインド関連だったんですけど、途中から世の中のWEB2.0のブームに自分達もひかれていって、そっちをやりたいなぁということで、当時、優秀な大学生達が協力してくれて、それでつくったっていう感じですね。
「リベンジしに来ました」
「現在の状況について教えて下さい」
さいむら:なるほど、その時は一旦諦めたわけですが、
2回目があるわけですね?
蓜島:29歳位の時に、当時仕事をしながら、将来インドでのビジネスの第一段階として、インドのMBAに通おうと思っていて、そういう話を友人としてたのですが、まぁいろいろその話をしていく中で「もう今からいくか!」と決意しました(笑)
それで、29歳の時の8月に初めてケララ州のコーチンとトリバンドラムに来ました。
でまぁ、そのリサーチをする時には、まずは最初大きな都市、デリーとか、ムンバイ、チェンナイ、バンガロールとか、そういった都市部ももちろん検討するんですけど、ただまぁ、そういったところって結構色々ものが高くなっちゃってたりもするから、もっとイイ場所って探せばあるんじゃないかなぁと思って、知られてないだけで。
それで調べていったら、ケララという所がよさそうだと。イイ場所というのは国際空港が近くて、尚且つちゃんと仕事ができる、停電が少ないとか、住みやすいとか、気候がいいとか。そういうのを全部調べていったときに、やっぱりケララがいいなぁということになって、それでコーチンとトリバンドラムにリサーチにきたという感じですね。
「日本人で初めて」
さいむら:ケララにリサーチをされて、その後は一旦戻られたんですか?
蓜島:はい、その時は8月で2週間くらいインドに来たんですけど、
そこでもうトリバンドラムに決めて、今度は12月頭にきました。
来たって言うのは住むために。
ある日本人の社長さんがトリバンドラムに住んでいて、その会社の社長のご自宅に1ヶ月間居候させてもらいました。
その1ヶ月の間に、実際に自分の会社をつくったりとか、実際に会社を登記したりとか、そういうことをやってました。
ただ、本当に英語が全くできなかったんですが、英語が出来る友人が2~3週間位ケララにきてくれて立ち上げを手伝ってくれました。
さいむら:おーわざわざ!
蓜島:色々手伝ってくれました。インターネット回線を契約したりとか、一緒に会計士さんのところいったりとか。そういうのを一緒にやってくれました。夜は結構毎日飲んでましたが(笑)
それで2010年の1月に会社が登記されたっていう感じですね。
それで新しい家も12月の後半から住み始めて、それが今の家です。
さいむら:会社を登記を終えて、まず最初はどんなことからやられてたんですか?
蓜島:まずインドに来る前に、起業の準備をしてたりする中で、
一緒にインドで事業を立ちあげるメンバーが見つかって、最初は日本からの仕事をインドでやるっていうような形でやってました。
さいむら:スタッフの方たちは、最初から一緒に来られたんですか?
蓜島:1ヶ月後ですね。会社ができて、家も借りられて、電気・水道が開通したあとです。
さいむら:だから、事前に日本で面談をしていたわけですね。すごいですねぇ。
オフィスはテクノパークだったんですか?
蓜島:いや、最初は、オフィスは家でしたね。
さいむら:それはどの位ですか?
蓜島:オフィスが家だったのは、1年位ですね。
1年後に、家とテクノパークにある会社に2,3席間借りをしたので、オフィスが2つという形が3~4ヶ月位続いて、
その後、テジャスウィニ(ビル名)の地下2Fにあるインキュベーションオフィス(通称TBIC)というところがあって、
そこは大体9人部屋位なんですけど、すごい狭い部屋なんですけど、そこを借り始めたっていう感じですね。
さいむら:そのインキュベーションオフィスに、入居できるようになったきっかけは何だったんですか?
蓜島:
実際にインキュベーションオフィスの契約書にサインする日にですね、
テクノパークの社長室に呼ばれて、で、カメラマンとかもいて、こう握手しているところを写真とかにとってもらったんですけど、
それが実際にここで買える新聞ほとんどにでたと、マラヤーラム語(現地語)、英語もそうだし、ヤフーニュースもそうだし。
これを逆に考えるとね、日本から会社がはいってきたテクノパーク、ていうのはある意味テクノパークにとっても宣伝になるのかなと。
他の地元の会社だったら1年待ったりとか、2年待ってもはいれないっていうのに、自分達は結構色々、事業計画書とかいろんな書類を書く必要はあったんですけど、提出したらすぐはいれました。
日本からきた初めての会社だったということも大きかったかもしれません。
※2011年6月にインド最大のITパーク、テクノパークへ事務所移転。当時のニュース写真
インドのWEBメディアにも掲載(http://www.thehindu.com/todays-paper/tp-national/tp-kerala/japanese-startup-firm-in-technopark/article2067357.ece)
「一歩引いた目線」
「インドにきてよかったことについて教えて下さい」
さいむら:今、インドに来られてどの位ですか?
蓜島:次の(2013年)12月で、丸4年が経ちます。
さいむら:その、4年ここに住まれた中で、インドにきてよかったことを教えて下さい。
蓜島:本当に一番来てよかったなぁと思ったことは、今まで海外は旅行でしかきたことがなかったし、長くても2週間とかしかいたことがなかったり、しかも回るのは観光地ばっかりだったりと、そういうことが多かったので、実際に海外に住めたってことですかね。
当時は(今も)英語もまったく出来なかったし、そういう中で、インドに来て、何が変わったかなぁって思うと、なんていうのかな、一歩引いた目線でモノを見るっていうか、日本っていう国もそうだし、(日本からきてるから)インドに関してもそうじゃないですか。
さいむら:たしかに!
蓜島:自分達がいまどこにいて、でそのいる場所はどこに向かって行ってと、以前よりも少しだけ俯瞰してみられるようになったかなぁと思います。
さいむら:一歩引いた目線で見られるようになったことでよかったことは何ですか?
蓜島:はい、例えばビジネスする上では、自分達の強みっていうのはどこにあるのだろうとか、どういうことをしたほうがいいのだろうとか、あとはその短期的にどうこうという形ではなくて、長期的にどうしていけばいいのかとか、そういうことは昔より少しだけ考えられるようになったかなと思います。
さいむら:それは日本にいたときよりも意識するようになった?
蓜島:そうですね、日本にいて周りがみんな日本人だと、強みってなったときに、「自分は東大でてないし」「自分は英語しゃべれないし」とかそのモノの尺度がすごい数値ができるところにいっちゃいがちだと思うんですよね。ただ、やっぱりこっちにきて、もう今じゃ僕がもうトリバンドラムに、知っている中では一番長く住んでいる日本人のうちの1人だと思うんですよね。そして、ここで起業したっていう人も少ないし、そうすると、いろんな経験をできたなぁと。4年も住んでるので、来る前よりは英語もちょっとは上達したんじゃないかなぁと思うし。結構みんな日本にいたら横並びじゃないですか?高校でて、大学でて、就職してと全員が比較的同じ経験をしてる。こっちにきたらテクノパークの中では日本からきた初めての企業だし、日本人としては初めてのケララ大学のMBAの生徒でもあるし、こっちの人たちからもすごいよくしてもらったりしました。だからやっぱりそういう意味では色々な事を経験できたなぁと思いますね。で、もちろん大変なこともいっぱいあったので、そういうのを解決していくなかで、来た時は(インド人に対して)すぐ怒っちゃったりもしてたけど、今はそういうのもうまく流せるようになってきたかなぁと思いますね。
「一度に全て言ってくれ。。。」
「インドにきて大変だったことについて教えて下さい」
さいむら:インドに来て一番大変だった、辛かったできごとについて教えて下さい。
蓜島:会社やってると、本当に色々な問題が起こって、その都度その都度解決していくので、本当にどれが一番ていうのは言えないんですけど、、。
さいむら:インドならではの大変だったことはありますか?
蓜島:例えば、役所に、何か届け出に行ったときとかに、同じような内容なんですけど、その都度その都度で、この書類持ってきてくれとか、っていうものが変わってきたりとか、急に担当者が変わって厳しくなったりとか、なんか決まってるんじゃなくて人によって左右されるようなところが本当に大変だと思いました。
さいむら:会社の設立とかはどうだったんですか?
蓜島:会社の設立はすごい経験のある会計士さんにお願いしたので、そこはそんなに大変ではなかったんですけど、やっぱりそういう届け出を自分がやったらものすごい大変だっただろうなと思いますね。
例えば役所にいって、予め10時から窓口が開くからということで10時に行くと、担当者がまだ来ていないと、で、じゃあ10時半にいくよって言って、10時半に決まった書類を持って行ったと、そしたら、今度はこういう書類が足りないよと言われて、わかりました、といって家に帰ってすぐ用意して持っていくと。
で、そうしたら今度は例えば11時に着いたと、それで持っていったら、これコピー2部いるよと、今度はコピーをとって戻ってくると。
そしたら、今度は担当者がお昼行っちゃったと。ちょっと待っててと。1時間くらいで帰ってくるからと。1時間待つか、もしくは1時間後にもどってくると。
それで、きいたら多分もうちょっとで帰ってくるんじゃないのー?10分15分で帰ってくるよと。10分15分まって、それでもう一回きいたら、なんかもう帰っちゃったみたい。だから明日また来てとか・・・。(笑
要は、毎回毎回そういう感じなんですよ。
それがもう当たり前なんですね。
一度に全部いってくれ、と思うんですけど。
さいむら:なんなんですかね。。。
蓜島:なんなんですかね(笑
ま、そういうのに慣れるのにすごい最初大変だと思いますけどね。
「ちょっとでも雇用に貢献したい」
「今後の目標・将来の夢について教えて下さい」
さいむら:今後の目標、将来の夢を教えて下さい。
蓜島:これも聞かれることも多いんですけど、やっぱりなんでインドに来たのか?ていうところ、この原点について考えたいなと思うんですけど。地球の人口が63億人ですと、そのうちインドは11億人ちょいくらいなんじゃないですかね。で、もう10年20年とかで中国の人口を抜くっていうのは言われています。インドの平均年齢は25,26歳で、この人たちが結婚して子供を生み、家を買い、車を買い、っていうもうすごい消費する世代じゃないですか。だから、まだまだ平均年齢も若いから増えていくていう形だと思うんですよ。こうなった時に、そういう良い面の逆に裏側には悪い面があって、今インドの人口のうちの2割から3割はいわゆる都会に住んでると、アーバン(都会)とルーラル(田舎)ていう言い方をするんですけど、で7割から8割はルーラルエリアっていうんですけど、これはいわゆる農村、田舎に住んでる。で、ちょっと郊外にいけばわかると思うんですけど、ものすごい貧しいんですよね。
で、ただケララはまたね、みんな学校にいけると、貧しい人でも学校にいけるし、教育を受けられるから字が覚えられる、字が覚えられるっていうのは、仕事が出来るっていうことなんですよ。じゃぁ逆にインド全体でいうとケララみたいに識字率90%以上のところもあれば、インド全体でみるとまだ74%だと。このじゃぁ他の26%の人たちは悪い言い方をすると社会のお荷物になってしまう可能性がある訳です。そうなるとどうなるかっていうとやっぱり国で、いわゆる社会保障として抱えていかなくちゃいけない。人口はこれから増えていくんで、もしその貧しい人たちがそのまま増えていったらね、もう社会として成り立たなくなってしまう。だから世界で一番の人口の国の7~8割が貧しいと。
だったら逆にここで何百人、何千人という職を生むことができれば、職がある人たちは子供を学校に通わせられるわけじゃないですか。だから僕はちょっとでも雇用に貢献できるような事業ができればいいなと、そう思い続けていて、今後もそれを続けていきたいなぁと思っています。
「まずは、飛び込め」
「インドに興味がある、働いてみたいっていう人にメッセージ」
さいむら:これからインドで興味がある、働いてみたいっていう人へメッセージをお願いします。
蓜島:僕が丁度20歳くらいの時に、ちょうどみんなパソコン使い始めたりとか、就職活動のために英語の勉強をしたりとか、始めたときに、僕は一切そういうのをやらなくて、絶対もう将来、なんていうのかな、スペシャルな人間になれば、そういうものは要らないんだと。(笑
ちょっと今考えるとアホな子なんですけど。(笑
さいむら:すごいですね(笑
蓜島:自分に力があれば、そんなね、ツールなんてものは要らないんだと。そう思ってた人がその10年後にはインドにきて、パソコンで仕事をしているわけじゃないですか。これは結構面白いなぁと思って。これからの事を考えようとするときに、過去の延長線上でものごとを考えてしまいがちじゃないですか。あとはその、一番近い相談相手っていうのはやっぱり親であり、兄弟であると。で、自分達の親の世代はどういう世代かというと、例えば自分の父親なんかは団塊の世代に近い年だし、要は社会にでたあと日本の経済がすごい伸びていて、会社もはいれば伸びていったと、はいれば伸びていったっていうことはどういうことかっていうと、同期ではいった人たちはみんな同じタイミングで係長、課長になれた。
そうなってくると、やっぱり大きい会社で働けとかね、そういうところで、働けというアドバイスが多いっていうのは、やっぱり自分の経験則で話してるからだと思うんですよね。
ただ、やっぱり世界はすごい大きく変わってると。日本のバブル崩壊は1990年頃。それから失われた20年といわれていて、経済が伸びていないと。1990年の前半ていうのは世界的に大きなパラダイムシフトもがあって、いわゆる東西冷戦が終わったのもそのくらい、中国が共産党一党独裁でありながらWTOに入って国を開いた、要は西側諸国と貿易を始めたりとか、インドもマンモハン・シンという今の総理大臣の人がいるんですけど、その人が大蔵大臣のときに、いわゆるソビエト型の計画経済から自由主義経済をとりいれた。
市場経済に急に30億の人口が増えたわけです。だから急に市場経済を取り入れている国の人口が倍になったと。その後、日本の工場で今までつくってたものも中国でつくろうという話になってきたと。
だから自分達が生きてきた1990年代っていうのはすごい大きなパラダイムシフトだったんだなぁと。90年代半ばからはインターネットを使うようになってきて、そうなってきたときに最初はもちろん英語圏からだけど、仕事によってはどこでもできるようになってきたと。それでインドっていうのはもともと大英帝国の一部であったわけで英語を話せる人がある一程度いたからアメリカやヨーロッパから仕事が流れたと。つまりインドで1000人仕事が生まれた=アメリカで1000人仕事を失った人がいる、そういうわけなんですよ。
そういうのは、日本にいると非常に気づきづらい。例えば、就職活動でうまくいかなくて自分を否定されているような気持ちになったと、そういう事って聞いたりするじゃないですか。
じゃあ、自分の何がよくなかったんだろうか。自分の友達は就職したと。あいつと比べて何がよくなかったんだろうと考える。自分はちょっと喋り方がハキハキしてないからかなぁ、とかね、TOEIC5点彼より足りないからかなぁとかね、そういう目に見える数値で考えてしまう。だから、一歩俯瞰してみるっていうのは、実際そのグローバリゼーションがいいか悪いかっていうのは置いておいて、今それがすごい進んじゃってるところだから、じゃぁこういうところ(インド)に来て、実際どうなんだろうとか、実際こっちにくるとね、TOEICの5点の差とかね、ひげ剃ってないとかね、髪の色がどうだとかね、そんなことってものすごい小さく見えるじゃないですか。
さいむら:そうですね。
蓜島:だから、海外に飛び出してくることで、そこを知ることができる。日本にいても「そんなのわかってるよ」、っていわれるかもしれない。
さいむら:ついつい近いところで比較してしまいますよね。
蓜島:だから、まず飛び込んでみると。その過去の延長線上でものを考えるのではなくて、やっぱり飛ぶっていうことが必要だなぁと思うんですよ。
さいむら:飛ぶっていうのは、本当に飛ぶっていうことなんですね。笑
蓜島:飛び込んでみるっていうことが本当に大事だなぁと思います。飛び込んでみて、人生観が変わるっていうことは、それはお金では表せない価値だなぁと思うし、そういった意味では飛んでみるっていうのは大事だし、その自分の周りにいるごく近しい相談者の人たちはそういった経験がないから、自分の知らないことに対して、人ってネガティブじゃないですか。例えば娘を持つ父親が、会う前はそんな男はやめとけと、あんなチャラチャラしたやつは、と。でも実際親に紹介したら、なかなかいいヤツじゃないかと。(笑
さいむら:親目線ですね。(笑
蓜島:そういうことと非常に近いんじゃないかなぁと思いますね。
さいむら:貴重なお話ありがとうございました。
(インタビュー・編集=雜村洸宇、写真=冨田太貴)
一見優しくて、話し方も非常に穏やかな蓜島社長。
それでも、英語が全くできなかったなかでも、飛び込んで起業してしまう、
その行動力に感動するとともに、英語があまり得意でない私にとっても非常に勇気をもらえました。
私もまずは飛び込んでみようと思います。
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