毎日たくさんの観光客が訪れるニューデリーのメインバザール。
そこに、ひっそりと賑わいを見せている日本人宿がある。
立上げから今までずっとサンタナデリーを支えている、
ボランティアスタッフの原田さんにお話を伺ってきました。
原田 達也(はらだたつや)
1985年生まれ。さぬきうどんの香川県出身。地元の弱小専門学校卒業後、営業を経てグラフィックデザイナーへ。
2011年10月退職した翌日からワーキングホリデーを使ってオーストラリアへ。
東南アジア放浪後、ご縁があってインドでボランティア活動中。人好き、酒好き、お喋り好きな変態。
お住まいの地域:デリー首都圏 ニューデリー (New-Delhi National Capital Territory of Delhi)
HP:日本人宿サンタナデリー
「“人”が好きだったから」
「インドへ来ることになったキッカケ」
さいむら:インドに来ることになったキッカケを教えてください。
原田:元々、私は1年間ワーキングホリデーで、オーストラリアに住んでいました。
自分なりに目標を立てて、「デザイン」と「言葉」っていうものにすごく興味があったんです。それで、路上で絵を描いたりしていました。
さいむら:えー!
原田:その前は、グラフィックの仕事をしていたんですけど、26歳くらいまで仕事をしていて、突然辞めてオーストラリアへ行って。路上で絵を描いたりだとか、言葉にも興味があったんで、いろんなところへ顔を出して、友達つくってしゃべったりだとか。
人が好きなんですよね、基本的にはね。それで、「人の笑顔」ばっかり描いてたんです。
芸術と音楽の街、メルボルンっていう街があるんですけど、そこで絵描きさんだとか、路上でギター弾いていたり、いろんな人がいるんです。
そこで、なんもない道に、人の笑顔を描いて、花畑じゃないですけど、笑顔畑をつくるみたいな感じで描いてました。
さいむら:素敵ですね!
原田:言葉っていうのも好きで、語学も興味あって色々やってたんですけど、ふと気づいたのが言葉って、人と人をつなぐツールなんですよね。結局、私が好きなのって人間なんだなっていう事に、客観的に自分を見た時に思ったんです。
そんな事を考えながらワーキングホリデーの期間中に、東南アジアを回っていたんですよ。
サンタナデリーの発起人は3人いて、自分の他に、日本人の女の子とインド人のオーナーがいるんですけど、
タイでたまたま、その日本人の女の子に出会って、その子にオーナーを紹介してもらいました。
二人はもともと仲がすごい良くって、「一緒にやろう」みたいなこと言われていたらしくって。
それで3人で一緒にやろうか、っていう話になったです。
それこそ、物件探しから全てゼロの状態から始めて、今に至るっていう感じです。
宿っていろんな人間が来るじゃないですか?
丁度、そのタイミングで、自分が人に対して興味を持って、何かこう面白いことやりたいな、また新たな事に動き出したいなって思ってた時に、その話をもらったので、すぐ決めちゃいましたね。行きます、と。
インドは行ったことなかったんですけど、即決でしたね。
さいむら:インドには、ワーキングホリデーが終わってすぐ来られたんですか?
原田:そうです。2012年10月頃ワーホリが終わって、日本半周くらいして、すぐインドですね。
11月、翌月にはもうインドにいましたね。
さいむら:最初に、来られたのはデリーですか?
原田:プリーです。ここはサンタナのデリー支店みたいな感じで、大元はコルカタの南にあるプリーというところです。なので、最初コルカタに行って、プリーに行って、色々教えてもらったりして。
そのあとデリーに来て、一緒に始めました。
さいむら:現地とのやりとりは、インド人のパートナーがやられてたんですか?
原田:そうです。やっぱり語学というのは大きくって、契約であるだとか、そういうのは全部彼がやってくれてましたね。で、彼は本店がプリーにあるんで、離れられないんです。どうしても。だから、私と日本人の女の子の相棒がデリーに基本的にいる感じです。
また、そのプリーの本店のインド人が面白い人で、すごいアツイ想いを持っている人なんです。
そこが一緒にやろうってなった大きな決め手ですね。
さいむら:どんなアツイ想いをお持ちなんですか?
原田:もともと、本店は60年くらいやっているんですよ。今の彼は男の子3兄弟の末っ子なんですけど、お父さんの代から宿をやっているんですね。今でこそ、物価がちょっと上がって、値段が上がってしまったんですけど、その本店(サンタナ・ロッジ)は、195ルピーで朝ごはん、夜ごはんがついて、チャイもついて、宿泊費込みです。
さいむら:安いですね!
原田:もうとんでもないです。ボランティアというか、本当によくやってるなっていうレベルなんです。田舎だから、こっちに比べると物価は安い方なんです。それでも、慈善事業みたいな感じなんです。それも理由があって、インドってやっぱり嫌な思いをして帰る人が結構いるんですよね。やっぱり短期でこう回っていくと、どこの国でもいるんですけど、一握りよからぬ事を考える輩はいるじゃないですか。それで、観光客はそういうのに騙されやすいので、「もうインドなんてこないぞ」「二度とくるか」ってなって帰っちゃう人が結構いたみたいなんです。
私たちもそうだと思うんですけど、例えば日本に来ている外国人から「日本嫌いだよ、こんな国二度と来たくない」って言われたらやっぱりショックじゃないですか。
どうして?って思うじゃないですか。自分たちはこんなに自分の国が好きなのに。
彼はやっぱり一緒みたいで、自分が生まれ育った国を嫌いになって帰ってもらうっていうのが辛かったし、悔しかったらしいんですよ。
僕らはやっぱり長期でいるんで、良い所もいっぱい見えるんですよ。もちろん、不便なところもいっぱいありますけど。良い所は、短期だとやっぱり見えづらいんですよね。
なので、その宿ができた時のコンセプトっていうのが「居心地のいい場所で、尚且つ安全で、そして安価である」なんですけど、長くいてもらって、インドの色んな良い所を発見してもらって好きになって帰ってもらう。
堅苦しい言い方をすると、企業理念であり、信念みたいなものがあって、それはもうお父さんの代からなんですね。
だから最も悪名高いデリーに安心、安全な場所をつくろうとしたわけです。
もともと、お金よりもそういうアーティスティックな考えというか、「お金が全てではない」みたいなのが大好きで。この人面白いし、ちょっと一緒にやってみたいなって思ったんですよね。

北インドのお祭り、ホーリーに参加!
「家事みたいな感じ」
「お仕事について教えてください」
さいむら:サンタナデリーは、いつ頃から始められたんですか?
原田:2012年12月15日ですね。まだ1年と2ヵ月ちょっとですね。
さいむら:具体的なお仕事内容はどんな感じなんでしょうか。
原田:家事みたいな感じです。ご飯つくって、お掃除して、チェックイン・チェックアウト、お客様からの質問があったら対応して、列車や航空券の手配代行もやっています。
さいむら:お休みってあるんですか?
原田:基本的にはないです。コンビニだと思ってください(笑)
さいむら:24時間営業ですね(笑)
原田:そうですね、110連勤とかやってましたね。
さいむら:すごい。。
原田:最初の頃は大変ですからね。
もちろん夜中でも問題が起きれば対応しますし、電話も。インド人が基本ゲートのところで寝てるんですけど、番号も伝えてあって。何かあれば電話で起こしてもらったり。
日本みたいにちゃんとシフトみたいなものがあるわけでもないので。ただし、「この日、休みたい」とかっていうのは調整ができます。
さすがに1年経って、結構リズムができてきたんで、時間は取りやすくなってきたと思います。

入口はこちら!
「色んな人と出会える」
「インドに来て一番よかったことを教えてください。」
さいむら:インドに1年ちょっと住んでみて一番よかったことは何ですか?
原田:基本的には、やっぱりいろんな人に出会えるっていうのが私にとっては非常に魅力的で、「そんな仕事あったんだ!」とか「そんなことやってんの!?」みたいな人まで、もう本当にいろんな人がくるんですよ。インドに来る人ってやっぱり面白い人が多いのと、やっぱりデリーっていうのもあって各都市のハブになっているので、普通の旅行者も来ますし。
それも長期も短期もあって、仙人みたいな人から、短期で弾丸旅行の人だったり、こっちの大学に通っている人だとか、あとは仕事で起業する人だとか。
本当に色んなジャンルの人間と出会えるっていうのが、本当にたまらないですね(笑)反面、同じような質問を毎日されるので、よっぽど人間が好きじゃないとできないと思いますね、きっと。
さいむら:まさに、はまった感じですね。
原田:もう日本中にどんどん友達が増えていくっていう。帰国したときの楽しみも増えますよね。
さいむら:飲みに行こうぜ、って全国から誘われるわけですね(笑)
原田:超楽しいです(笑)

サンタナデリー半周年記念パーティの一枚。
「文化・カースト制度・感覚」
「インドで一番大変だったこと」
さいむら:一番大変だったことはなんですか?
原田:やっぱり、言葉ですね。スタッフ間の意思疎通です。
私たちが外から来ているわけなので、彼らに無理やり英語話させるのは変な話だと思うんですよ。なので、旅人がくれた指差し手帳を見ながら、ヒンディー語を勉強したりとか。本当に最低限、「これどうなってる?」とか「タクシー呼んで」とかは話せるようになりましたね。
あと、カースト制度の影響が大きいと思うんですけど、仕事をする時間・感覚のズレってすごく大きいんですよ。例えば、彼らは日本と違って、雇用関係だけでは言う事聞かないんですよ。「あれができてないでしょ」って言うだけではダメなんですよね、「もうやめる」ってどっか行っちゃったりとか。
トイレ掃除は死んでもやらないですし。トイレはトイレカーストがあるので。日本人がやるしかないですね。
やっぱり仕事を一緒にやるっていうのは、感覚が違いすぎて、キレイ・汚いも違いますし、っていうのは正直結構大変でしたね。
あと、ご飯もやっぱりこうあるべきっていうのがあって、例えば日本のカレーありますよね。夜つくったカレー1日経って、次の日食べますよね。むしろ、それが美味しいとされているじゃないですか。でも、それはインドではあり得ないんですよ。その時につくったものしか食べない。
さいむら:そうなんですか!?
原田:そうなんです。めっちゃ大量につくって、ちょっとしか食べなかったとしたら、もう全部捨てないといけないんですよ。日本人からしたらあり得ないじゃないですか。
さいむら:えー、もったいない!
原田:でも、やっぱり彼らの食文化なので、理解してあげないといけないんです。そういう文化、カースト、感覚の3つは仕事する上では、すごい障害というか、今でこそ理解できてきてますけど、今でも勉強することが当然ありますし。そこに関しては本当に違いますね。
さいむら:ザ・インドって感じですね。。
原田:ですね。最近はありがたい事に、デリーで働いている駐在員の友達とかと飲みに行ったりする機会があるんですけど、同じ事を言っていますね。
基本的に、日本人はマネージャーみたいな感じで、インド人が部下にいるみたいですけど、やっぱり言う事きかないみたいですね。
時間は守らないし、怒ったら言い訳するし、謝らない。
「ごめんなさい」と「ありがとう」がこの国にはないんですよ(笑)
その辺りは、やっぱりうまい事ガス抜きしていかないと、頭がワーーっとなっちゃいますよね。
「カオスです(笑)」
「パハール・ガンジーってどんな所?」
さいむら:宿があるパハール・ガンジーってどんなところでしょうか?
原田:一言でいうと、カオスです(笑)
さいむら:なるほど(笑)
原田:見ての通りですけど、もうぐっちゃぐちゃですよね。首都ですし、国鉄のニューデリー駅が目の前にあるにも関わらず。もちろん停電もしますし。きったないですし。カオスです。
タイのカオサンとか有名だと思いますけど、あれよりももっとカオスだと思います。
さいむら:もう慣れました?
原田:そうですね。逆にもう楽しめれているかもしれないですね。
やっぱり汚い、うるさいっていうのはあるんですけど。住めば都ですよね。
物が安いですし。飾り気のない庶民の街なんですよ、本当に。
当然商売っ気の多いやつもいるんですけど、観光客に悪さしたりとか。割と優しい人とかもいて。賑やかで、私は好きですけどね。
中にはやっぱり、パハール・ガンジーに住んでるっていうと、「えっ!?」っていうリアクションを頂く事は多いですよね。特に、日系企業に勤めている方とかは。
会社によっては、行って欲しくないみたいです。あんなところは危ないし、飯食ってお腹壊して会社を休まれても困るしっていうんで、まぁ来ないです。
来る理由がないですね(笑)

メインバザールの入口からの景色
「つくる・つなぐ・あそぶ」
「今後の目標・夢について教えてください」
さいむら:今後の目標・夢を教えてください。
原田:今、すごい勢いで色んな人と出会っているわけなんですよね。その会った人たちをつなげて遊びたいっていうのがあります。
人それぞれ、やっぱり色々やってきた事とか、違うわけなんですよ。時間を費やしてきたものが。音楽できるやつ、ダンスできるやつ、勉強できるやつ、なんでもいいんですけど、そういう人たちを組み合わせて、こう何かやりたいなっていうのは正直ありますね。
私もものづくりが好きなので、「つくる」っていう事と「つなぐ」っていう事と、「あそぶ」っていう事をやっていきたいですね。それが何なのか、それで飯を食えるのか、そこまでは具体的には決まっていないんですけど。
その3つをテーマにして、何かこう「やる」って決めてます。
さいむら:めっちゃ楽しそうですね!
原田:まぁ抽象的な表現なんですけど。
さいむら:場所はインドですか?
原田:日本でもインドでもどこでも。せっかくなんで、末永くインドとはお付き合いしていきたいですけどね。永住するかは別として(笑)

プリーのビーチでBBQ!
「どんどん外に」
「インドで働きたい・興味があるっていう方へメッセージ」
さいむら:これからインドで働きたい、インドに興味があるっていう方に一言お願いします。
原田:まずは、来てほしいですね。
やっぱりWEBとかブログとかで世界一周とかも結構やっている人たちもいて、情報はすごい手に入るんですよ。でもやっぱり、聞くのと見て触るのとは違うんですよね。
私も、田舎育ち、香川県出身なんですけど、田舎で学校行って、田舎で仕事して、っていうので、ずーっと26歳まで生きてきて。突然何を思ったのか、海外にでちゃったんですけど。
海外であるとか、留学であるとかって、すごい手が届かないようなところにあるイメージだったんですよ。ワーキングホリデーっていう制度も知らなかったですし。
なので、意外と全然お金もかけずに、ポンと外の世界を見られるんですよ。
だから、興味のある人はどんどん外に出ていってほしい。やっぱりそれなりに自己責任はありますし、年齢が上がるにつれて、置いていくもの・捨てなきゃいけないものとか増えてはくるんですけど。
ぜひ興味のある人は、外に出てほしいなって思いますね。
「想い出の帽子」
「番外編」
原田:結構ぼろっちくなってるんですけど、想い出がいっぱい残っているんです。
最初に言ったみたいに、この宿は、インドのいろんな所見てもらって、好きになって帰ってもらいたいっていう想いでやっているんです。
ある日、私と同い年の男の子が来て、2日くらいで北の方に向かったんですよ。それで何週間かして帰ってきたんですけど、すごい疲れた様子だったんです。よくよく話を聞いたら、帰ってくる途中に、貴重品を全部奪われてしまって、ケガも負ってたんですよ。
お金もクレジットもパスポートも全てない状態で帰ってきて。当然病院もいかないといけないですし、パスポートを失くしちゃったので、警察行ったりだとか、航空券とったりだとか、大使館もいかないといけないし、出国するための許可をとるためにFRROに行ったりだとか、いっぱいやることがあって。
数日間ですが、できることはお手伝いをしてあげてたんです。全て帰る準備がようやく整って、それでとうとう明日帰るわってなった時に、ずっと心配してたんですけど、「さすがにケガまで負って、モノも盗られて、さすがにもうインド来ないだろうな、嫌いになっちゃって。。」って思っていたんです。こわくて聞けなかったんですけど。
それを思っていたら、彼がちょうど帰る時に「たっちゃん!俺インド大好きやからまた来るわ!」って言ってくれて。それがもうめっちゃ嬉しくって。
飛行機で東京に帰っていって、携帯も全部盗られて連絡手段もないんですけど、実家に帰って、実家の固定電話からわざわざ国際電話を私の携帯電話にかけてきてくれて。
「無事に着いたから、ほんまありがとう!またインド行くからね!」って言ってくれたんです。
その彼がくれたのが、この帽子なんです。
本当のところはわからないですけど、自分たちが色々お手伝いすることができて、本来ならインド嫌いになってたかもしれない、そんな一人の人間の気持ちを、うまくフォローしてインドを好きになってもらって、「また行くから!」っていう人が一人増えたっていうのが、今まさに体感できたっていうのがすごい自分の中で嬉しくって。
今でもその彼とは仲いいですし、また帰った時に会いますし。
なので、この帽子は私にとってかけがえのない帽子なんです。
どれだけボロボロになっても、今みたいにずーっとかぶり続けているのはそういう理由があったんです。
(インタビュー・編集・写真=雜村洸宇)
原田さんの人柄が溢れるインタビューとなりました。
自分の興味・関心に素直になって行動していく。
なかなかできるようで、できないことです。
原田さんの今後が非常に楽しみですね!ぜひ私も混ぜてほしいです(笑)
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はじめまして。楽しくインタビューを読ませていただきました。自分もムンバイに住み始めたばかりですが、インドのよさをもっと知っていきたいと思います*\(^o^)/*